幸せになる勇気は、前作「嫌われる勇気」の続編になります。
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前作で哲人と議論した青年が、アドラー心理学を実践した結果、現状が悪化したことに怒り、再び哲人のもとに訪れるという内容です。
幸せになる勇気でも、哲人の主張は前作と一貫しており、自分を変えるためには「他者からの承認欲求を捨てること」がキモだと述べます。
アドラー心理学では、人間が抱える全ての悩みは「対人関係」だと言います。つまり、他社に依存しない自分になることが「幸せになる真理」だと結びます。
しかし、人間とは「コミュニティの動物」です。
だからこそ、他者に依存しないという考えに現実味がなく「机上の空論」だというのが、幸せになる勇気を批判する大筋の感想です。果たして真相はいかに・・・?
そこで今から、幸せになる勇気の内容をまとめたものを公開&解説していきます。
この記事の目次
「過去の記憶」は加工されていることを自覚する
アドラーは前作「嫌われる勇気」から一貫して「不幸は自分が選んでいる」と言い切ります。
例えば、会社で壮絶なパワハラを受け、うつ病になったとしても、アドラーは「うつ病になれば社会との関わりを断つ目的が達成できるため、自分の意思で選んでいる」と言い放ちます。
アドラー心理学は、トラウマや望まない性格になったのは過去のせいという「原因論」を否定。全ては、自らの目的を遂行するため、自らで選んでいるという「目的論」を採用します。
アドラーは、人間は過去に体験した膨大な情報から、今の自分の目的に合致する情報を選び、都合の良い意味づけをし、記憶として脳に定着させていると言います。
それ以外の、自分の目的に反する情報は消去していると言います。
全ての歴史書が「勝者の都合」で加工された「偽書」であるように、過去も自身の正統性を示すためのツールにすぎず、本当の意味の「過去」は存在しないとアドラーは言います。
これに対し、幸せになる勇気を批判する人々は、残虐な虐待やいじめを受けた人、自殺に追い込まれるほどの苦痛を味わった人を、無視した理屈だと反論します。
私はその感想にとても共感を覚えます。しかし、そんな壮絶な過去を経験した人々も「愛にふれた経験」もあったと思うのです。ゼロではないと思うのです。
例えば、親に捨てられて孤児院で暮らした過去から「憎しみ」に生きる人。孤児院で優しかった先生の愛情に触れた過去から「愛」に生きる人。それは本人が選ぶとアドラーは言います。
ただしです。
アドラーは、大した苦労経験のないスピリチュアルリストに良くいる「全ては自己責任です」と、誰かの受け売りを鵜呑みにし、思考停止状態で言っている人たちとは一線を画します。
その証拠に、彼は「アドラー心理学を完璧に自分のものにするには数十年かかる」と正直に言っています。
アドラーは「軍医」として戦場に赴任していた経歴があり、悲惨な体験をした兵士たちと直接関わってきた人物です。
アドラーは、戦場で傷ついた兵士を「心理療法」で再び戦場に送り返すという、悪夢にうなされるような仕事を任されていました。
だからこそ、彼は過去を書き換えることの困難を知っています。しかし同時に、過去を引きずることで身を滅ぼす危険性も知っているため「幸せになる覚悟を持ってくれ」と訴えています。
これが、著書のタイトルが「幸せになる勇気」である所以なのです。
「悪いあの人とかわいそうな私」から「これからどうするか」に思考を変える
幸せになる勇気では、人間は悩みを打ち明けるとき「悪いあの人」と「かわいそうな私」という視点で話を展開させると言います。
巷のカウンセリングを受けても、現状が変わりにくい理由は「癒し」で終始するからだとアドラーは言います。
傾聴がメインのカウンセリングでは「悪いあの人とかわいそうな私」という話が大半を占めるため「慰め」で終始します。結果、涙を流して癒されることはあっても、根本的な解決に至りません。
また、幸せになる勇気では、他者からの共感や同調を求める態度は「依存」であり、承認欲求の強化につながると指摘。本来目指すべき「自立」とは反するものだと説きます。
アドラーは「悪いあの人とかわいそうな私」と視点をやめて「これからどうするか?」という視点で話し合うことが重要。これこそが「自立」への根本的な解決策だと言います。
もちろん、心が傷ついた人に、慰めや癒しを提供するのもカウンセラーの役割でしょう。しかし、こんな面白い実験結果があります。
クライアントに「ある三角柱」を渡します。その三角柱の各側面には「悪いあの人・かわいそうな私・これからどうするか」と書かれており、この3つから話したいことを選んでもらいます。
すると、全てのクライアントが「これからどうするか」を選ぶことが判明したのです。
冷静に考えれば当然ですが、人は誰でも過去よりも未来に生きたいし、依存よりも自立したいのです。つまり「これからどうするか」は、クライアントの希望を呼び覚ますマジックワードなのです。
「褒める or 叱る」という賞罰の物差しで生きない
家庭、学校、職場、組織全般・・・
私たちは「賞罰」という二元論の世界で生きています。そのため「褒められる」という賞賛を獲得することを、人生最大の目的にしています。
「褒められることは良いことだろ?良いことをしようと思うことに何の問題が?」と反論する方もいるかも知れません。しかし、もう少し思考を深めてみてください。
叱られることを避け、褒められることを目的とした生き方は、必ずしも「良いことをしよう」というピュアな精神につながりません。
例えば、財務省という「ひとつの組織」があります。この組織では、増税を実行した者は出世する(褒められる)という文化があります。
これは、たとえ日本経済に悪影響でも、財務省の組織に属する者にとっては「増税=良いこと」になるということ。
ここに、本来の意味での「良いことをしよう」というピュアな精神はありません。
アドラーは、現代を生きる人間の目的は、とにかく「褒めてもらうこと」が最優先であり「共同体(社会)のなかで特権的な地位を得ること」だと述べています。
これは、褒められるなら公を破壊することでもやるし、褒められなければ公のためになることでもやらないという非道徳性がはらんでいます。
また、賞罰の物差しによって「自分が褒められない存在」に当てはまると、人は特権的な地位の獲得に失敗したことを嘆き、自己嫌悪、自己否定、自らを徹底的に責め、傷つけます。
賞罰という、恐れや不安の世界から抜けだすには、自分の価値を他者に評価してもらうという依存をやめること。自分を無条件に愛せる「自己受容力」を持つことが必須だとアドラーは述べます。
自分を無条件に受け入れて愛する力。つまり自分自身を尊重できる力。このスキルを持った人こそが「真に自立した人格者」だと、アドラーは説きます。
競争原理をやめて「協力原理」に生きる
アドラー心理学では「賞罰の価値観(褒められるか、叱られるか)」こそが、競争、不正、戦争のもとだと述べています。
賞罰の価値観で生きている人ほど、社会や他人が「競争の対象」に見えます。競争の対象とは、言い換えれば「敵」です。
つまり、賞罰の価値観で生きるほど「他人=敵」という観念が強化されます。
この観念を強烈に持っている人ほど「他人は私を陥れるチャンスをうかがう存在だ」という世界を見ることになり、非常に苦しい人生を歩むことになります。
幸せになる勇気では、年齢、性別、学歴、知識、経験、能力・・・そんなものは関係なく、全ての人が対等であり「横の関係」として協力しあう共同体であるべきだと言います。
前述したように、アドラー心理学では、人生における全ての悩みは「対人関係」だと説きます。なぜなら、この世に「あなた」しか存在しなければ、言語も論理も存在せず、競争、嫉妬、孤独も感じられないからです。
競争の世界から「協力の世界」に生きた方が、対人関係に悩むリスクは劇的に減ります。また、他人は決して競争相手でも敵でもなく、仲間であり味方である根拠があります。
人間は「分業」という画期的な働き方によって、生物的な弱さを補い繁栄してきました。
私たちは「米ひと粒」ですら自分で作れないように、各業界で働いている人々の「分業」によって生かされています。ここに誰も異論はないはずです。
つまり、他者は「敵」ではなく「仲間」であることが容易に分かります。
また、このマインドで世界を見れば、職業(主婦業を含む)に一切の差別はなく、社会を営むためには「全ての仕事は誰かがやらなければならないこと」で、全て尊いことが分かります。
以上から、競争原理から協力原理へパラダイムシフト(発想の転換)することが、余計な対人関係に苦しまず、人生を幸せにする答えだとアドラーは説きます。
「与えるから与えられる」という貢献マインドを持つ
賞罰という二元論の世界で幸せになるには「褒められる技術」が最重要になります。このスキルがある人が「いわゆる成功者」として扱われます。
しかし「褒められる」とは、他者から与えられるもののため、賞罰に執着すればするほど、他者に依存し、他者の価値観に振り回され、自分を見失っていきます。
アドラーは前作「嫌われる勇気」から、繰り返し、他者からの賞罰に依存せず「自己受容(無条件の自己肯定)」で生きるべきだと説いています。
また、アドラーは他人の評価に依存しなくても、自分のことを「価値のある存在」と実感することは可能だと言います。それは・・・
自分で自分のことを「私は誰かの役に立っている」と思うことです。
他人から直接褒められなくても、自分自身で「私は役に立っているのだ」と確信できれば、自分を愛することができ、自己受容感を高めることができます。
これこそが、アドラーの言う「真の自立」です。
ちなみに「私は誰かの役に立っている」と確信する方法は簡単。それは、自らが率先して他者に与えるという「貢献のマインド」で生きることです。
アドラー心理学では、人間の全ての悩みは対人関係だと説明していますが、対人関係において「自己中心的」に生きようとする執着こそが、苦悩の始まりだと述べています。
「私が世界の中心に君臨したい!」
という執着(エゴ)が、自分の弱さや不幸を嘆き、ネガティブな感情に苛まれ、また他人という絶対コントロールできないものを支配しようとし、苦しむのです。
もちろん、人は誰でも自身の人生における主人公です。ただ、自分を「素敵な主人公」として輝かせるためにも「利己心」よりも「他利心」で生きた方が早くて簡単なのです。
なぜなら、私たちが生きているこの地球は「他者に与えるから他者に与えられる」という不変の法則が働いているからです。
「自分を変える勇気」こそがアドラー心理学の本質
幸せになる勇気を批判する感想は「壮絶な過去により、深い心傷を負った人には通用しない」という一言にまとめられます。
アドラーが批判されやすいのは「心の問題は自分を変えないための言い訳を目的に作られている」という表現をしていることが大きな原因でしょう。
確かに、アドラーの表現は誤解を招きやすいと思います。そこで、アドラー心理学を「脳科学」の見地から解説してみることにします。
アドラー心理学の脳科学で解説するとこうだ!
脳には「顕在意識(実感できる意識)」と「潜在意識(実感できない意識)」の二つの領域があります。
心の問題で苦しむ全ての方々は「この症状から解放されたい」と願われていることに間違いありません。ただ、この願いは「顕在意識の領域」だけの話です。
実は「潜在意識の領域」では「自分を守るという目的を遂行するには心の病が必要」と判断しているのです。潜在意識という無意識の領域で起こっているため、気づけないのです。
この現象を、脳科学用語で「ホメオスタシス」と言います。
ホメオスタシスを簡単に説明するとこうです。体は気温が高くなると発汗によって体温の調節をしますよね?このように、ホメオスタシスは、体の状態をキープするための「現状維持システム」と言えます。
潜在意識に、鬱病やトラウマを維持するホメオスタシスを作ることで、過去に経験した危険な環境に二度と近寄らないよう「防衛センサー」を張っているのです。
なお、このホメオスタシスを削除する方法の一つは、過去の経験に対して「大丈夫だ」と意識すること、実感することです。
キーポイントは「実感」です。心の底からリアリティをもって「大丈夫だ」と意識することが、潜在意識にアプローチし、不要なホメオスタシスに影響を与える条件になります。
ただし、これを実行するためには、どうしても辛い過去を直視しなければならず、勇気がいる作業になります。つまり自分を変えて「幸せになる勇気」が欠かせません。
アドラー心理学は、壮絶な過去を体験した人々を決して軽視していません。「勇気を持って過去を手放し、幸せな未来を築いてほしい」という愛があるからこその厳しさなのです。
まとめ
ひと昔前の成功者に「ワンマンな人」が多かった理由は、賞罰という二元論の世界においては、他者よりも、自分を優先できる傲慢さが、重要な素質だったからです。
他者からの賞罰の物差しを無視してでも、自分のエゴを優先できる「利己的で図太い人」が成功しやすい時代だったのです。
しかし今、そのような利己的な人々が築きあげた「世界秩序(システム)」から「貧困・不正・争い」が多発し、明らかな歪みが生じているのはご存知のとおりです。
これは、より良い世界に生まれ変わるための「転換の兆し」なのかも知れません。神道の世界では「大祓い(おおはらい)」が起きているとも言われています。
幸せになる勇気が「これからの成功者のあり方」を教えてくれている気がします。
・どんな自分でも無条件に愛することができる人(自己受容)
・他者との分業で自分は生かされていることに感謝できる人(尊敬と協力)
・他者に貢献しているという「実感」を忘れず日々を生きている人(公の貢献)
幸せになる勇気や、アドラー心理学に興味を持った方は、人生に辛さや苦しさを感じている方々だと思います。
しかし、辛い経験をしてきた人だからこそ、自分を無条件に愛することの大切さを深く理解でき、同じように苦しむ人々を助けたいという、貢献の思いが持てるのです。
つまり、より良い世界を築くために「これから必要とされる人」と言えます。あなたの辛い経験は、ご自身の使命に目覚めるための働きかけなのかも知れません。
だからこそ、これからの世界のためにも「過去に生きず、未来に生きる」をマインドセットし、勇気を持って幸せな未来を切り開き、人々の希望になってほしいと願っています。
あなたの成幸を心より祈っています。